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20年

岩の塊でいきなり背中を突き飛ばされたような強い突き上げと轟音のような地鳴り、その直後に両肩をものすごい勢いで掴まれて力任せにめちゃくちゃに揺すられたような激しい揺れを思い出すと、今でも心臓がぎゅっと掴まれたようになります。

当時、私が住んでいた地域は震度5を観測しました。そこですらそれほど激しく感じた揺れだったのに、兵庫・神戸はどれほど激烈な震動だったことか…。

学校は臨時休校となり、自宅待機。テレビの画面が伝える神戸の姿に、言葉もないまま見入るしかありませんでした。

お世話になった先生方の中にも、神戸在住の方が数名いらっしゃいました。「いつもなら電車で30分で行ける梅田まで、5時間かかった。夜明け前に自宅を出て、10時頃にようやく梅田駅に到着した時、人々が、普段と変わらない日常生活を送っている姿を見たのがショックだった」。

震災から1年後、神戸市内にある大学に通うようになり、断面的にではありますが、復旧への道を進む神戸の街で過ごす時間がありました。最近は機会自体も少なくなりましたが、神戸へ立ち寄る事があった時には、「震災メモリアルパーク」を訪れ、その日を思います。

あれから20年。神戸空港も開港し、「心の復興」の象徴として開館した兵庫県立芸術文化センターも10年を迎えます。復旧とともに、神戸の景色は少しずつ変わっています。

でも、変わらない思いは変わらないままに、ずっと心に留めておきたいと思います。


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ささ

私は震災の3か月後に西宮市にある大学に入学したので、とろりん様とほぼ同じ期間を阪神間で過ごしたことになりますね。
1階部分が押しつぶされたマンションを電車の中から見ていた日々を思い出します。
そのマンションは震災後一年以上そのままで、復興への道のりの厳しさを思い知らされました。
それでも、そんな状態から街を、そして自らを立て直そうとされた方々の努力には頭が下がります。
きっとそんな方々のおかげで、私は大学での4年間を特に危険もなく過ごせていたんだ…と今になって思います。
私にできるのは、それを忘れないこと、伝えていくことなのだと思います。
by ささ (2015-01-18 17:06) 

★とろりん★

ささ さま、

コメント、ありがとうございます。

1階の駐車場部分が押しつぶされたまま残されていたマンション、私も見覚えがあります。電車から見ながら、毎日通学していました。私が進学した大学では、グラウンドの半分に仮設住宅が建てられ、私が卒業する年まで使用されていました。「忘れないでいる」「覚えている」というのは、人間にとっていちばん難しい感覚だと思います。忘れてはいけないことを、忘れないうちに伝えていく努力が必要だと感じた、20回目の日でした。
by ★とろりん★ (2015-01-18 19:32) 

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