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第69回 京おどり(宮川町) [伝統芸能]

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2018年4月8日(日) 京都・宮川町歌舞練場 12:30開演 

「第69回 京おどり 天翔恋白鳥」

第一景~第四景 天翔恋白鳥(あまかけるこいのはくちょう)
ミヤズヒメ ふく光
タケル   君綾
傾城夜烏  吉華
キビツ   ふく紘
新造(黒鳥)田ね文 君ひろ とし純 とし輝
禿(黒鳥) 里春
白鳥    ふく愛 ふく鈴 小凛 富美夏

第五景 ご維新百五十周年
立方    美恵雛 ふく紘 ふく愛 ふく鈴 ふく兆

第六景 京おどり 鉄道唱歌
立方    ふく葉 ふく佳 叶千沙 ふく光 弥千穂 吉華

第七景 いろはにほへと
立方    小はる ふく朋 君とよ ふく音 富美芳 千賀遥 千賀明 千賀すず
三味線   叶幸 とし恵美 ふく弥 菊弥江
鳴物    とし夏菜 菊つる 小梅 富美毬 君有

第八景 宮川音頭 
      全員

【地方】
唄   富美祐 ちづる 君勇 君奈
三味線 千賀福 小扇 とし真菜 多栄

【点茶出番】
点茶 ふく尚
控  小えん 

* * *

祇園五花街のひとつ、宮川町の「京おどり」を観劇してきました。

まずは開演30分前からふるまわれる、お茶席へ。
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この日は芸妓・ふく尚さんによる点茶。シアター形式で整列して着席するとどんどんお菓子とお茶が配られていくのですが、お席によっては控の舞妓さんがふるまいに来て下さいますよ!

ふく尚さん、めっちゃ美人[黒ハート] お点前も美しくて、眼福、眼福[揺れるハート]
あ、もちろんお茶も美味しくいただきました!

ではでは、客席へ。

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2階席から撮影。唐破風の装飾が壮観!!これぞ日本の美の極致ですね。

さて、舞台の方は、前半に舞踊劇、後半にその年のテーマに添った曲、そして最後は「宮川音頭」で総踊り、という構成。

今回は、OSK日本歌劇団の作品の演出なども手がけている北林佐和子による舞踊劇「天翔恋白鳥」に、明治維新150年と言う事で、文明開化をモチーフにした舞踊作品などを楽しみました。

「天翔恋白鳥」は、日本神話でも有名なエピソードであるヤマトタケル伝説に、バレエの名作「白鳥の湖」のあらすじが融合するという斬新かつ大胆すぎる発想から生まれた舞踊劇。

すなわち、ミヤズヒメが白鳥(オデット)で、タケルがジークフリード王子。ロットバルトは「傾城夜烏」という女性の姿で登場しますが、この傾城夜烏はタケルに滅ぼされた一族の娘、という設定。日本舞踊と洋舞の合体…!!(エッセンスだけ)

いろいろと突っ込みどころの多い設定かつ展開ではありますが(笑)、それでも白鳥に姿を変えたミヤズヒメの寂しげな佇まいと腕から手を翼に見立てる動きの優美さは絶品。傾城夜烏の凛とした鋭い眼差しと強さを感じさせる機敏な所作には、洗練された美しさを感じました。

ラストは天国へ旅立ったタケルとミヤズヒメの連れ舞。夢のような美しさでため息を連発してしまいました。

後半は、明治維新150周年を記念した「鉄道唱歌」をアレンジした舞踊が印象的でした。東京駅から京都駅までの汽車の旅。背景の書割が電車の車窓のように左から右へ流れて風景が変わっていくので、本当に汽車に乗って旅をしているような気分も楽しむことができました。

舞妓ちゃんたちによる初々しい「いろはにほへと」のあとは、全員総踊りでの「宮川音頭」。煌びやかで華やかで夢にあふれていて、これぞ日本の伝統美!

桜舞い散る中、日本の春を心ゆくまで満喫しました!




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宝生閑師 [伝統芸能]

能楽ワキ方の宝生閑師が、お亡くなりになりました。

閑先生の、「毅然とした傍観者」の立場を崩さない、それでいて内なる感情を密かに湛えるワキ方としてのたたずまいが、心から好きでした。

閑先生のワキを観たいから、という理由で足を運んだ舞台も、いくつかあります。閑先生がいらっしゃるから、のめり込むように集中して見入った舞台も、あります。

閑先生、ありがとうございました。

謹んで、ご冥福をお祈りいたします。


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新日屋「GEISHA 葭町(よしちょう)芸者とお座敷遊び」 [伝統芸能]

平田牧場遊」で腹ごしらえをした後、今回のメインイベントへ!


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コレド室町3階「橋楽亭」で開催されたイベント、「GEISHA 葭町芸者とお座敷遊び」に参加してきました。

「和のコンシェルジュ」を目指して、江戸文化を身近に感じられる企画をプロデュースしている「新日屋」さんの企画のひとつです。

一般人には敷居の高いお座敷遊びを、1時間ほど体験できる企画。料金も5500円(税込、芸者花代、ワンドリンク)と、大変にリーズナブル。これで、かなり本格的にお座敷遊びを体感できるのです!

「葭町」とは東京都中央区にかつて実在した町名で、江戸時代は「元吉原」として栄えた土地。吉原が浅草へ移転した後も芝居小屋が建つなどして繁栄しました。その後、幕府の改革の影響を受けて深川から逃れてきた芸妓衆が移り住み、花街として知られるようになったとか。日本初の女優として名高い川上貞奴も、もとは葭町の芸者だったそうです。

現在、葭町の料亭は1軒、芸者は7名となりましたが、東京六花街のひとつとして伝統を守り続けています。

 




まずは新日屋のホームページから、メール・FAX・電話などで予約(イベントによって、予約方法が異なるみたいです)。当日、コレド室町地下1階にある「日本橋案内所」のカウンターにて支払いをして、整理券と引き換えます。(手配してくださったT様、感謝☆)

時間前に、コレド室町3の3階にある「橋楽亭」へ。こちらは和空間のレンタルスペースで、「和」を体感できるイベントを随時開催しているようです。


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事前に、お座敷遊びについてのパンフレットをいただきます。裏面には英語版の説明文もついています。

進行役の方から簡単な挨拶の後、いよいよお座敷が始まります!


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まずは、芸者衆によるお座敷舞を堪能。

曲は、ご当地ソングとも言える「お江戸日本橋」。

芸者衆は、八重さん(右)と、おもちゃさん(左)。地方は、ひろ姐さんと長作姐さん。

ちなみに、ひろ姐さんは芸道80年!!三味線の音もが冴え冴えとしています。長作姐さんの、艶のある歌声もさすがです!


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続いて、八重さんの舞。


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こ…この艶と色香…!!!(衝撃)


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指先まで美しく神経の行き届いた所作の連続で、ふわり、ふわりと良い香がするような、芸者衆の舞。

間近で見られるなんて、夢のようです…(*´▽`*)。

(以上、お座敷舞の写真は、カンゲキ仲間Tさまの撮影によるもの。T様、写真提供をありがとうございました!)



ひととおりお座敷舞を堪能した後は、全員参加のお座敷遊び体験!

代表的な3つの遊びを体験します。


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まずは「とらとら」。

全身を使ったじゃんけん遊び…と言ったらわかりやすいかな?「侍(和藤内)」、「虎」、「老婆(和藤内の母)」という3つの型を使って勝負します。力関係(?)は、

虎>老婆(和藤内の母)=虎は老婆を食べてしまうから
侍(和藤内)>虎=和藤内は虎を退治するから
老婆(和藤内の母)>侍(和藤内)=和藤内は母に頭が上がらないから

このようになります。

上の写真の対決では、どちらも槍を持った振りをしているので、侍(和藤内)の型。あいこです。勿論、再び対決。この後、左側のスーツの男性が勝利されました♪


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続いては、「投扇興(とうせんきょう)」。

両端から、真ん中に置かれた的(「蝶」と呼ばれます)に向かって、交互に開いた扇を投げる遊び。風雅な遊びですよね~。

これは私も体験させていただきましたが、結構難しい!おねえさんがすごく丁寧に教えてくださったのですが、なかなか巧く飛ばすことがっ出来ず、負けてしまいました。

負けた者にはもちろん、罰ゲーム。ええ、日本酒を一杯、飲み干しましたよ(笑)。八海山、美味しかったです(負け惜しみw)。


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最後の遊びは、「こんぴらふねふね」。

音楽に合わせて、台の上に置かれた徳利の袴(徳利を支えるために置かれる筒形の器)に手をついて遊ぶゲームです。袴は取り上げても良くて、袴が置かれている時と置かれていない時(相手が取り上げた時)で手の形を変えなくてはいけません。この手の型を間違えたら負け。

勝負がつかないと、歌のテンポがどんどん速くなっていきます。

この遊びは、参加された外国人の方たちの対決が白熱しました!2人ともすごくお上手で、互角の戦い!!いつになったら決するんだ、というくらいに息詰まる対決でした。

そんな固唾をのむ緊迫の戦いの中、涼しいお顔で歌のテンポをぐんぐん加速させていく地方のおねえさん方、容赦なかったです(笑)。


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イベント終了後は、おねえさん方と記念撮影できます♪

遊びの説明の時とか、この記念撮影の時に、少しだけおねえさん方とおしゃべりする機会があったのですが、皆さん物腰も柔らかくて、人を心地よくさせる天才だと思いました。嫌味なく、人を心地よい気分にさせる天才です!ここに「おもてなし」の真髄がある!と思いました。

ほんのわずかな時間でしたが、江戸時代から伝わる伝統文化を体験できて、とても楽しい時間でした。こうして身近に「和」の文化を体感できる機会があるのは良いことだなと思います。全力で遊んだ1時間でした。


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大蔵流狂言 第五十六回 青青会 [伝統芸能]

2015年9月6日(日) 杉並能楽堂 13:30開演

狂言『伯母ヶ酒』
(若松隆)
狂言『月見座頭』(山本則秀)

小舞「鵜飼」
(山本則重)
小舞「放下僧」(山本則孝)
小舞「桂の短冊」(山本東次郎)

狂言『禰宜山伏』(山本泰太郎)





7か月ぶりに、杉並能楽堂に足を運びました。道中の風景も少し変わっていましたが、杉並能楽堂の静かなたたずまい、能舞台から醸し出される厳かかつ柔らかな空気感が変わっていなくて、嬉しかったり安心したり。





狂言『伯母ヶ酒(おばがさけ)

シテ(甥)/若松隆
アド(伯母)/山本則俊


【あらすじ】

酒の商いをする伯母を持つ甥、酒を飲ませてもらいたいのですが、商売物である酒を伯母は絶対に振る舞ってくれません。今日は何としても酒を飲んでやろう目論む甥は、酒を売ってやるからまずは味見をさせてくれと持ちかけますが、伯母は断固として応じません。そこで甥は、自分の住んでいる場所の近くで恐ろしい鬼が出たが、追われてこの辺りに逃げてきたようだから、戸締まりをして気をつけるように言い残して帰ります。

夕方になり、店を閉めた伯母のもとに、鬼が現れます。ところがそれは、鬼の面をつけた甥だったのでした…。


【カンゲキレポ】

東次郎師のおはなしによりますと、中世では女性が酒屋を営んでいるのは決して珍しいことではなかったそうです。そんな当時の社会様相も反映させた曲。女手ひとつで酒屋を切り盛りする伯母にとって、酒は大切な商売物。そんなことはおかまいなしに、何とかして酒を飲ませてもらおうと画策する甥のやり取りが可笑しい一番です。

演者の装束をチェックするのも、山本家の舞台を拝見する時の楽しみにひとつ。最近は近視が進んだのか、特に扇の意匠がしっかり見えなくて…次回はオペラグラスを持って行こう(本気)。

若松は、渋いグレー(茶色だったかも?)に松葉の肩衣、則俊師は目にも鮮やかな山吹色の地に美しい鳥が縫い取りされている、とても豪華なのに奥ゆかしさを感じさせる唐織。東次郎師らしい配色だなぁと思います。こういうコーディネートを拝見すると、「うんうん、山本家、山本家」と何故か安心する自分がいます(笑)。

あれこれ言いつくろって酒をせびろうとする甥に、断固として酒を飲ませない伯母。最終手段(?)として甥は鬼の面を付けて伯母を脅し、酒蔵を開けさせます。

後はご想像通り…、酒をたらふく飲んだ甥は酔っぱらって熟睡、恐る恐る様子を見に来た伯母に正体がバレて、フラフラしながら逃げ帰っていく…という結末。

若松は、お酒を飲んで酩酊していく様子を、力いっぱい演じていました。最初のいっぱいは本当に美味しそうに飲んで、お酒の香りが見所(けんしょ:能楽堂の客席)いっぱいに広がるような、そして飲み進むうちに、男の熟柿くさい息が見所に充満していくような感覚になりましたもの。「酒を飲む」というしぐさひとつとっても、回数や時間を重ねるごとに微妙な変化を演じ分けていく必要があるのですね。

あと、興味深く拝見したのは、使用した面を決して能舞台の上に素で置かないこと。鬼の面を付けたまま酒を飲み始めた男は、邪魔だからと面を顔の横にずらし、やがては外して、立て掛けた膝に面の紐を引っ掛けるようにして置き、そのまま熟睡。後からきた伯母は怒り狂って男の膝に引っ掛けてある面を取り上げて怒鳴りつけていました。

中世から受け継がれてきた面は大変に貴重なものですから、やはり曲中の取り扱いにも決まり事があるのだなぁと思いながら拝見していました。ちなみに、今回使用された面は「風流(ふりゅう)の面」と呼ばれているものだそうです。

則俊師は、「居る」だけで場が引き締まります。身体のさばき方が誰よりも機敏で、動きひとつひとつにため息が出ます。

圧巻だったのは、面を付けた甥を本物の鬼だと思い込んで恐れおののく場面。ものすごいスピードで鬼の姿をした甥に橋がかりから揚幕付近まで追い詰められるのですが、鬼に対面したまま、スススーーーッっと後ろを向かずに素晴らしいスピードで後退されるのです!その俊敏さと美しさ!息をのみます。

ご存知の方も多いと思いますが、杉並能楽堂の橋がかりは、都内の能楽堂の中でも、橋掛かりの傾斜がとても高いことで知られています。揚幕のほうから舞台にかけて、目視でもわかるくらいに結構な上り坂になっています。

その橋掛かりを、舞台から揚幕方面に下がるということは、ゆるやかな下り坂を後ろを振り返らずに後退するようなものなのです。あまりに勢いをつけるとバランスを崩した時に後ろへ転んでしまいそうになります。そんな危険を微塵にも感じさせないのは、やはり則俊師が幼少の頃からこの舞台で鍛錬を積まれてきたからですよね。その機敏で美しい身のこなしに惚れ惚れいたしました。





狂言『月見座頭(つきみざとう)

シテ(座頭)/山本則秀
アド(上京の者)/山本則重


【あらすじ】

八月の十五夜の日。風流な人々は野辺や沢辺で月を眺めて歌を詠み、詩を作って楽しむ宵。目の見えない座頭も、虫の音を楽しもうと杖を頼りに野辺に出かけ、虫の音を聴いています。

そこへ、月見にやってきた1人の男が、座頭に声をかけます。意気投合して歌を詠み交わし、酒を酌み交わして別れた2人でしたが、ふと心に悪い考えが芽生えた男は、先ほどの座頭のもとへ戻ります。そして…。


【カンゲキレポ】

狂言が誕生したのは、約650年前の室町時代。その時代に、今日に至るまでかけられ続けている狂言200曲は創作されたとされています。650年前に、すでに人間の闇を突いていた狂言が存在していたことは、改めて凄いな、と思いました。それを創作した人の洞察力、分析力、表現力も。

今、まさにこんなことがきっかけになった事件が、増えている気がします…。仲良しだったはずなのに、「ちょっとハブってやろう」「ちょっとちょっかい出してやろう」という面白半分の出来心がエスカレートして、取り返しのつかない事になってしまう…。人間の「闇」の部分がむき出しになったような事件が、どんどん増えている気がします…。

狂言は「人を追い詰めない」(東次郎師)結末が用意されており、その先を想像するのは観客の仕事だとされています。それすら出来ない時代なのでしょうか。

則秀の月見座頭は、良い意味で「し過ぎない」という印象でした。

渋めの若草色の角帽子(すみぼうし)、渋みのある薄紫の衣の上からグレーの水衣をまとい、下は濃い青に色味の違う青で笹(?)の文様があしらわれた袴という、落ち着きのある中にも演者の若さを感じさせる、絶妙の配色。

目が見えないというハンディキャップやそのために受ける理不尽な物事に声を荒げて反撃することもせず、その身の上も、男とのやり取りも、全て淡々と受け入れて、自分の中で受け止めて生きてきたのだろう、そしてこれからも、そうして生きていくのだろう…そう思わせる舞台でした。

終演後、則秀が橋掛かりを歩いて揚幕の内に入ってからも、ほんの一瞬の間、見所からは拍手が起こらず、その場にいた全員が揚幕の向こう側を見つめ続けていました。それだけ、則秀の舞台に心を掴まれた証でしょう。

感情をむき出しにすることを抑えて、淡々と、整斉と舞台を勤める則秀。その抑えた舞台が、かえってこの曲の持つ深さが際立ち、人の心に静かに衝撃を与えたのではないかと思います。

素晴らしい舞台でした。

私としては、前半の親しみやすさから一転、座頭に理不尽な暴力を振るう男にも今回は興味をもって舞台を拝見していました。「男は、どの瞬間に、『あの座頭をなぶりものにしてやろう』と思うんだろう」と。

男を演じたのは、則秀の兄でもある則重。結果的に、揚幕の内に入る寸前に「いや待てよ」となるのですが、確信的な瞬間というのは見えませんでした。本当に、揚幕に入る寸前に、急に「今度はなぶりものにしてみよう」と言って、元来た道を戻るのです。

でも、逆に、それがまた本当の人間らしいのです。その人にしかわからないきっかけで、その人にしかないタイミングで、これまでとは正反対の気持ちがふと芽生える…。それこそが人間の心の「闇」なのではないでしょうか。こういうところで思わせぶりな「間」を作らないところが、狂言らしく、山本家らしいなぁと思います。

則重は、深い緑の地に四季の草花があしらわれた肩衣。山本の舞台ではよく拝見する意匠で、私も大好きな衣装のひとつです♪





狂言『禰宜山伏(ねぎやまぶし)

シテ(山伏)/山本泰太郎
アド(禰宜)/山本凛太郎
アド(茶屋)/山本則孝
アド(大黒天)/山本修三郎


【あらすじ】

後援者のもとに挨拶周りをしている伊勢の禰宜が茶屋で休憩していると、葛城で修行を終えて故郷の出羽国・羽黒山へ帰る途中の山伏が居合わせます。

この山伏が横柄で、茶屋の出した茶が熱いだのぬるいだのと文句ばかり。禰宜が一言口を挟んだところ、山伏は因縁をつけ始める始末。茶屋の取りなしにより、山伏と禰宜は大黒天に祈誓をかけて、陰向(ようごう:神仏が祈りに応える)があった方を勝ちとする勝負が始まります。


【カンゲキレポ】

東次郎師によりますと、中世~昭和初期にかけて、伊勢神宮など大きな寺社には先導師(せんどうし)と言って、近隣や地方の檀那(後援者)にあいさつ回りをしてまた寺社に参詣に来てくれるよう勧誘する職業の人がいたそうです。狂言は、教科書には載らない、かつての日本の社会世相を映す劇でもありますね。

いや~、泰太郎の山伏、大好きです!!(笑顔)

なんていうのでしょう、威張り散らしていても、良い意味での「小者感」が出ていて、それでいて憎めないのですよね~。そのあたりのさじ加減が絶妙!

装束からして、なんか偉そうでした(笑)。今日の曲の登場人物の中で、いちばん良い扮装じゃない?と思わせられるくらいに。山伏なので、その扮装はしているのですが、篠懸(すずかけ:ボンボンのついた上衣)の下に着ている着物が、袖しか見えませんでいたけれども、龍?や鳳凰?などの、えらく豪奢な刺繍のされているように見えましたし、袴も、吉祥紋が刺繍された、山伏でもランクの高そうな感じでした。

居丈高に威張り散らしている山伏が、大黒天の影向をかけた勝負にあっさり負けるものの、それを認めたくなくて無理やり自分のほうへ靡かせようとしたり、あれやこれやとインチキをするのも、可笑しいです。

禰宜を勤めた凛太郎も、良かった~!真面目で爽やかな舞台でした。紺の地に、白い細かい紋様が全体に散りばめられたような紋様(まるで、リバティプリントのような感じでした)の衣が、凛太郎の若さと爽やかさと生真面目さを際立たせていて、素敵!

祈誓の勝負で、伊勢の禰宜らしく「そもそも日本国のはじまりは~」(注:意訳)と、古事記の一節(「天地初発之時(あめつちのはじめのとき)」)を思わせる科白をものすごいスピードで言い切るのですが、これがお見事でした!「立て板に水」とはまさにこのこと、と思わせる流暢な話しぶりで、言い終わったとき、拍手したくなりましたよ!!

茶屋の主を勤めた則孝も、相変わらず手堅い出来。この方のある種どこか醒めた空気を思わせる冷静なたたずまいは、仲裁役にぴったりだと思います。

この舞台では、立派な大黒天様にもお目にかかれます。大黒天がお召しの装束が、私も大好きな意匠のひとつ(『金若(かなわか)』)のものだったのて、密かに嬉しかった~♪(→コチラの記事に、ちょっとだけ紹介しています)


(注) 配布されたプログラムには、「ネ」に「爾」と表記されていますが、その字を使うと、なぜかそれ以降の文章が画面に全く反映されなくなるという謎の事象が発生したため、「禰」と表記しました。





小舞「鵜飼(うかい)(山本則重)
小舞「放下僧(ほうかぞう)(山本則孝)
小舞「桂の短冊」(山本東次郎)


「鵜飼」は練習曲として舞われることも多く、私も何度か拝見した事があります。

則重は、「荒鵜(あらう)ども、此の川波にぱっと放せば」で宙に振り上げる腕の動きの俊敏さと、それを目で追うまなざしの美しさが印象的でした。鵜が放たれた情景が、まざまざと脳裏に思い起こすことができました。

脇正面からですと、特に小舞は舞う方を真横から見る形になるのが多いのですが、相変わらず彼の横顔の美しさには惚れ惚れします。なんて形の良いお鼻なんだ…(←狂言関係ない)。



「放下僧」は、室町時代中期以降に現れた、田楽法師の流れを受け継ぐ僧形の芸能者を意味するそうです。能の曲のひとつで、放下僧に身をやつして親の敵討ちを目指す兄弟が、敵の前で芸を披露しながら、機会を狙う…というあらすじだそうで、今回は、都の風物を謡い舞う場面。「衹園、清水」「音羽の滝」「地主(じしゅ)の桜」「嵯峨」と、まさに今でも通用する京の都の風物尽くしです。

則孝の舞は、指先が特に綺麗です。「筆に書くとも及ばじ」と謡うところで、扇を筆に見立てて文字を書くしぐさをするのですが、その時も扇も持つ手の指先がぴんと伸びきっていて、美しさの中に堅固な意思も感じさせます。



「桂の短冊」は、2003年に東次郎師が創作された新作狂言。私は2008年の「山本会」で拝見したのですが、風雅で情感あふれる素晴らしい曲。東次郎師の美学がここに集約されている!とすら思いました(←お、おこがましいにも程がある…)。

今日のおはなしで伺って初めて知ったのですが、この曲は松尾芭蕉のエピソードを素材にとったのだそうです。なるほど~!今でも中秋の名月の頃になると、この曲で詠まれた歌を口ずさんでしまいます。

本日はその曲の中からいわゆるエピローグ、月夜の野辺でシテが謡い舞う場面を抜粋。「待ちし今宵も西の空」(だったと思いますが…勘違いしていたら申し訳ありません)で、ぐーっと顔を見上げる(月を仰ぎ見る)振りがあるのですが、この場面の東次郎師の瞳が光に照らされて、キラキラと輝いていて…その美しさに、思わず涙が出そうになりました。

杉並能楽堂は、本当に不思議な場所です。能楽堂全体を覆う屋根があるので、完全に室内にあるのですが、お天気の加減で、醸し出す空気が毎回違うのです。

今回訪れた日は、夕方から雨がひどくなる…という天気予報。ちょうど、小舞が始まり、東次郎師の番になるころに、雨雲が近づいてきたのか、急に空が暗くなったのです。光の射さなくなった杉並能楽堂も仄暗くなり、使い込まれた檜板も柱も、急にその色と艶が濃さを増しました。

その中で舞われた東次郎師の姿は、仄暗い闇の中から、光をまとって浮かび上がってくるようで…美しさを超越して、もう、神々しくて…本当に泣きそうになりました。

これは…


「好き過ぎて泣くパターン」発動…!!

(´;ω;`)ブワッ


この小舞で東次郎師が使用された扇も見事でした。

金地に、二羽の雁(だと思います…)が空を飛び遊ぶ情景を描いたもので、秋の宵闇が迫った頃の空を思い起こさせます。

そのほかの曲でも素敵な扇がたくさん拝見できて、幸せでした☆





終了後は、恒例となった東次郎師によるおはなし。今回も曲にまつわる豆知識やエピソードを、たくさん語ってくださいました。

今回も充実した良い舞台でした。大満足☆


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人形浄瑠璃 文楽 五月公演 夜の部 [伝統芸能]

2015年5月24日(日) 国立劇場小劇場 16:00開演

祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)

金閣寺の段

豊竹咲甫大夫 竹澤宗助

爪先鼠の段
奥 竹本千歳大夫 豊澤富助
アト 豊竹靖大夫 鶴澤清志郎

[人形役割]
松永大膳/吉田玉志
松本鬼藤太/吉田玉勢
石原新五/吉田玉翔
乾丹蔵/吉田玉誉
川嶋忠治/吉田蓑次
雪姫/豊松清十郎
十河軍平 実は 加藤正清/吉田玉佳
此下東吉 実は 真柴久吉/吉田幸助
狩野之介直信/吉田蓑一郎
慶寿院/桐竹亀次


【あらすじ】


天下をねらう松永大膳は、将軍の母・慶寿院を金閣寺の楼上に幽閉し、横恋慕する雪姫とその恋人・狩野直信を牢に入れています。そこへ、此下東吉が大膳に仕官を申し出に来ます。東吉の機転に感心した大膳は東吉を軍師に迎え入れることにします。

大膳は稀代の名絵師・雪舟の孫である雪姫に龍の絵を描くように所望します。その際、手本を見せるために大膳が見せた刀を見て驚く雪姫。その刀こそ、雪舟の代から伝わる宝刀だったのです。ところが雪姫の父が何者かに殺害された折、その宝刀も奪われたのでした。雪姫は父の仇と大膳に斬りかかりますが、かえって取り押さえられ、庭の桜の大樹に縛り付けられてしまいます。そして恋人である直信も、処刑されるために引き出されていくのでした。

何とかして恋人を助けたい一心で、地上に降り積もった桜の花びらの上に、自身のつま先だけで鼠を描く雪姫。すると驚くべきことに、描かれた鼠に命が吹き込まれ、雪姫が縛られている縄を噛み切ってくれるのでした。自由の身となった雪姫は、恋人を救うべく一心に駆け出します。

慶寿院を救い出した久吉は、大膳と対峙します。大膳は不敵な笑いを浮かべ、本拠地である信貴山での決戦を約束するのでした。


【カンゲキレポ】

歌舞伎では何度か観たことのある『金閣寺』。歌舞伎では、これでもかというほどに降り注ぐ(というか落下してくる)大量の桜吹雪が印象的ですが、文楽の舞台ではより写実的というか、実際の桜の落花に近い形で、はらり、はらはら…と桜の花びらが舞い落ちて来る様子に、かえって奥ゆかしさと風情がありました。

縛られた雪姫がつま先を使って鼠を描くシーンでは、指先を動かすたびにパッと桜の花弁が舞い上がって、それがとても美しかったです。

敵役の松永大膳が、それはそれは憎らしくてふてぶてしくて、素敵でしたわ~!これは迫力ある義太夫節ならでは!だったかも。雪姫を責める時のサディスティックな凄みのある表情、東吉に追い詰められてもなお余裕のある不敵の笑み。敵役に魅力があればこそ、主要人物もイキイキと輝くのだなぁ、と改めて実感しました。

雪姫も、登場時はしおしおと涙を流してばかりだったのが、愛する人が死んでしまうという危機を突きつけられた時に見せる激情の表情は、釘づけになるほど。「エヽ あの大膳の鬼よ蛇よ、(中略)この恨み晴らさいでおくべきか」と絶叫する様子など、義太夫の緊張感と雪姫の凄絶に白い横顔が相乗効果を生んで、絶体絶命に追い詰められた女性の叫びが心にこだまするように響きました。


桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)

六角堂の段
お絹/竹本三輪大夫
長吉/豊竹睦大夫
儀兵衛/竹本津國大夫

竹澤團吾

帯屋の段
切 豊竹嶋大夫、野澤錦糸
奥 豊竹英大夫、竹澤團七

道行朧の桂川
お半/豊竹呂勢大夫、鶴澤勝蔵
長吉/豊竹咲甫大夫、鶴澤清丈

竹本南都大夫、鶴澤寛太郎
豊竹咲寿大夫、野澤錦吾
豊竹亘大夫、鶴澤燕二郎

[人形役割]
女房お絹/吉田和生
弟儀兵衛/吉田蓑二郎
丁稚長吉(六角堂)/吉田蓑紫郎
母おとせ/吉田文昇
親繁斎/桐竹勘寿
帯屋長右衛門/吉田玉女改め 吉田玉男
丁稚長吉(帯屋)/吉田蓑次
娘お半/桐竹勘十郎

[お囃子]
望月太明藏社中


【あらすじ】

京都の呉服屋「帯屋」の長右衛門は、さる商用の帰りで伊勢の宿に泊まった際、隣の店「信濃屋」の娘・お半一行と偶然出会います。お半達は伊勢参りの帰りでした。その夜、丁稚の長吉にしつこく言い寄られたお半は長右衛門の部屋に逃げ込みます。まだ14歳の娘のことだからと、長右衛門はお半を自分の布団に入れてやりますが、そこで2人は過ちをおかしてしまいます。

2人の噂に心を痛めたお絹は丁稚の長吉を呼び出し、噂がおさまるように働きかけます。小舅の儀兵衛や母おとせの陰謀も何とかやり過ごします。しかし、お半は長右衛門の子をお腹に宿していたのでした。お半と長右衛門は桂川を最期の地と定め、朧月夜の道を急ぐのでした。


【カンゲキレポ】

う~ん(苦笑)。

あらすじからして「おいおい」と突っ込みどころの多いお話かと思うのですが(笑)、どうにも長右衛門の思考回路に共感できません。この公演が襲名興行であった吉田玉男さんにとって夜の部の出番ではあったのですが。長右衛門を演じる玉男さんはとても素敵だったのですが。どうにも長右衛門が浅はかで甲斐性のない男なんですよね~。

お絹は「こういう大店の奥さん、当時はいっぱいいたんだろうな~」と思わせるたたずまい。如才なく夫を盛りたて、姑の嫌味に耐え、舅に心を尽くす夫。舞台が進むにつれて、お絹が気の毒で気の毒でたまりませんでした。

最後の道行でも、2人を追いかけてきた帯屋と信濃屋の人々の声が聞こえて来る…という語りがあるのですが、その中に、夫を思って必死に駆けて来るであろうお絹の姿が容易に想像できて、舞台上の2人ではなく、残されていくお絹や繁斎らの事ばかりを考えてしまいました。

それにしても…お半の可憐さ、健気さは異常でした(真剣)。

信濃屋の暖簾の内からすっと顔を出す時の愛らしさ、長右衛門にすがりつく時のいじらしい仕草とは反対に、ふとした横顔に女の香りがほのかににじむようで、そのアンバランスさが、何ともお半を魅力的に見せていました。す…凄いわ、勘十郎さん…!


* * *


東京の文楽公演は、次は9月。『伊勢音頭恋寝刃』と『妹背山婦女庭訓』が上演される予定だそうです。これも楽しみですね~。

最後になりましたが…吉田玉男さん、襲名、おめでとうございます!


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国立能楽堂 四月定例公演 [伝統芸能]

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2015年4月17日(金) 国立能楽堂 18:30開演

狂言『二千石(じせんせき)』(善竹十郎:大蔵流)
能『三山(みつやま)』(浅井文義:観世流)

久しぶりに、国立能楽堂で能を拝見しました。今月の企画テーマは「さくらものがたり」。そのタイトル通り、桜を題材にした曲がならびます。

奈良の香具山・畝傍山・耳成山を題材に男女の複雑な愛憎と「赦し」の境地を表現した『三山』、とても面白かったです。

やはり、能楽堂の空間は良いですね~!独特の静寂と、演者の言葉に観客が一心に耳を澄ましている空気感が何とも言えない心地よさです。

良いリフレッシュとなりました。落ち着いたら、また能楽堂に行く機会を見つけようっと♪


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ハゲマス会 第十七回狂言の会 [伝統芸能]

2015年1月25日(日) 川崎市麻生文化センター 14:00開演

昨年は旅と重なって行けなかったハゲマス会、2年ぶりに参りました。

今回は、どれも観たことのある曲ばかりで、肩の力を抜いて拝見しました。山本家の安定した芸を楽しみ、しかも最後に、東次郎師の新作小舞を拝見できて、大満足でした。


狂言 『蝸牛(かぎゅう)

シテ(山伏)/山本則俊
アド(主)/若松隆
アド(太郎冠者)/山本則孝


【あらすじ】

家の主人が、太郎冠者を呼びつけ、あることを命じます。それは、大伯父の長寿を願って蝸牛(カタツムリ)を取ってこいというもの。当時、カタツムリを食べると長生きするという言い伝えがあったそうです。しかし、太郎冠者はカタツムリを知りません。主人によると、カタツムリは「土から生まれて藪に住んでいる、頭が黒い、腰に貝を着けている、ときどき角を出す、年月を経たものは人くらいの大きさになる」とのこと。主人の説明を反芻しながら、太郎冠者は出かけていきます。

大きな藪に入って行った太郎冠者。そこで、大きなカタツムリを見つけます。ところがこれは、修行を終えて戻る途中の山伏が、休憩に寝込んでいたものでした。太郎冠者に「カタツムリか」と尋ねられた山伏、いたずら心を起こしてそうだと答えます。

「雨も風も吹かぬに、出ざ釜打ち割ろう」と太郎冠者の囃(はやし)に乗って、「でんでんむしむし、でんでんむしむし」と音頭を取って舞う山伏。すっかり楽しくなってしまった2人のもとに、主人がやってくるのですが…。


【カンゲキレポ】

公演プログラムによりますと、日本でも古くはカタツムリを食用にしていたそうです。黒焼きにすると喘息の薬になったとか。

公演後のおなじみとなった「お話」にて東次郎師が仰っていたのですが、『蝸牛』も次の『泣尼』も、「ちょっと余計な事」で起きてしまった出来事を描いています。

この曲も、主人がカタツムリの説明をした時、最後の最後に「長く年月を生きたものは人間くらいの大きさになる」と言ってしまった事から、太郎冠者は山伏を「カタツムリ」だと判断してしまったわけです。もしかしたら、主人もカタツムリを実際に見たことがなくて、人から伝え聞いたことを受け売りしてしまったのかも。

太郎冠者がなぜ山伏を「カタツムリ」だと断定したかと申しますと…山伏は頭に頭襟(ときん)という黒い小さな帽子をかぶり、腰にはホラ貝を着けていたから。「角を出す」のも、首から下げているポンポンのような結袈裟(ゆいげさ)を肩越しに出して見せられて、太郎冠者はすっかり山伏のことを「カタツムリ」だと思い込んでしまうのです。

カタツムリだと言い張って太郎冠者をからかう山伏の則俊師、とっても楽しそうでした♪

太郎冠者の則孝は、生真面目な召使という感じがよく出ていました。肩衣は、紺鼠(こんねず)かな?に、雪の結晶を意匠にした六花(りっか)の紋様で、寒さの厳しいこの季節ならではのコーディネートだと感じました。

山伏に乗せられて、「雨も風も吹かぬに…」の謡をつけながら、山伏と楽しく舞い始めます。片足で跳びはねながら音頭を取り、舞うのですが、則俊師も則孝も、さすがの安定感!身体の軸がぶれたりゆがんだりすることがなく、上体が常に真っ直ぐなのです。この囃と音頭を聞いて、美しい立ち姿を見るだけで、「ああ、山本家だー!」と感無量になるわたくし(笑)。

主人の若松も、声がよく通って堅実な出来。この主人は太郎冠者を探しに来て、「あれは山伏だ」と諭すのですが、最後には山伏の術中にはまって(?)一緒に「でんでんむしむし♪」と音頭を取り始めるのですよ~。

山伏にすっかり乗せられてしまって、最後は主人も太郎冠者も楽しく音頭をとりながら去っていきます。陽気な囃と音頭に、揺るぎない山本の芸をしっかり楽しむことができました。


狂言 『泣尼(なきあま)

シテ(住持)/山本則秀
アド(施主)/山本凛太郎
アド(尼)/山本則俊


【あらすじ】

あるところに住んでいる男が、親の三回忌だと言う事で僧に説法をお願いしようと思いつきます。説法を頼まれた僧(住持)は、お布施をもらえるとあって喜んで引き受けるのですが、実は説法をしたことがありません。そこで、少しでも自分の説教が有り難く聞こえるようにと、近所の尼に「泣き役」を頼みます。

さて、施主のところに赴き、説法を始める尼。ところが尼は、肝心のところで泣くどころか、うたたねを始める始末。泣いてもらいたい僧はさかんに合図を送りますが届かず、ついには床にごろんと横になって熟睡してしまう始末。何とか説法は終わりますが、尼はなんとお布施をよこせとしつこく要求してきて…。


【カンゲキレポ】

普段、杉並能楽堂で山本家の舞台を拝見する時は脇正面に座ることが多いわたくし(←理由:肩衣のデザインを愛でるため)。しかし今回はホール公演ということもあり、正面から見たのですが、やはり正面からでないと伝わらない事ってあるんだなぁ~と当たり前のことを実感した曲でした。

この曲も、「ちょっと余計な事」をしてしまったばかりに起きてしまうお話。説法が初めてとは言え、それなりの教養を身につけている僧です。自分の引き出しから誠実にお話をすればうまく出来たのに、いっそう有り難く思ってもらえるような演出をしようと思ってしまったばかりに…。

もうこの曲のツボは、とにかく尼!!則俊師が尼を演じたのですが、これがまた、素晴らしい!先ほど『蝸牛』で見せた威厳がありつつも軽妙なところのある山伏とは違って、とにかくたたずまいから立ち居ふるまいからしてキュート!失礼ながら、こんなおばあちゃん、いるいる!って思っちゃいました(笑)。顔につけている面も、何と言うか、

僧と一緒に施主のもとへやってきた尼、周囲の人に挨拶しながら座って、最初は説法を聞いているのですが、だんだん退屈し始めて、お庭の方をよそ見したり、あくびをしたり、そのうち身体が傾いていき…。僧に合図されてハッと起きるものの、またうとうと…という繰り返しがだんだんエスカレートしていくのですが…。

その様子がね、本当にちょっとした首の傾げ方や扇の使い方で、きちんと伝わってくるのですよ!ちゃんとね、首を回したその先に、「あ、お庭に蝶々が飛んでる…」とか思ってしまっている尼の様子が、簡単に想像できちゃうのですよ。というか、尼がふっと見たその先に、うららかな日差しと、蝶がひらひら飛んでいる情景が、ちゃんと想像できるのです。

それは、やはり則俊師がしぐさや科白だけをなぞって演じているのではなくて、きちんと「心」で演じているからでしょうね。舞台に生きる者として当然の姿勢なのですが、やはり、一瞬のしぐさでそこまで情景を想像させることが出来るのは、演じる者の「心」次第だと思うのです。

僧を演じた則秀は、落ち着いた出来。一時期に比べて、声が安定してきたように感じます。まっすぐ届く声に、まろやかさが加わったように感じます。説教を続けながらも、思い通りの働きをしてくれない尼の様子に焦る様子が、不憫でした(笑)。

施主を演じた凛太郎。今年21歳というのに、すでに貫禄充分!思わず、わが身を省みてしまいます…(笑)。長袴の扱いにちょっともたついていたかな?と思いましたが(なんか、普段になくひょこひょこっと歩いている瞬間があって、でもそれが可愛かったんですけどw)、声があれだけ安定していれば充分です。

装束のコーディネートが、どことなく春らしい感じだったのが印象的でした。住持はグレーがかったブルーの地で、裏地がこれまたグレーがかった桃色というか杏色で、ふとした動きでその柔らかくて春らしい杏色がとても鮮やかに目に映えます。

尼は、クリーム(菜の花?)色に茶色の格子の入った小袖に、薄葡萄色の頭巾という、何とも春らしい配色。数珠は珠が天色で、房が藤紫という、モダンなもの。女性らしいな~と思いました。

施主は、若い凛太郎に合わせたのか、グレー・若草・クリーム色の段熨斗目に、濃い緑の裃。よく似合っていました。

結局、期待通りの働きをしなかった尼に対して、僧はお布施を分けることを拒否します。しかし尼は僧を追っていくという…。僧の気持ちもわかるけど、尼さんもキュートだったしなぁ。どっちもどっちだなぁ~(笑)。


狂言 『米市(よねいち)

シテ(男)/山本則重
アド(有徳人)/山本東次郎
アド(通行人)/山本泰太郎、山本凛太郎、若松隆、山本修三郎、山本則孝


【あらすじ】

貧しい生活をしている男は、年の暮れにはお世話になっているお金持ち(有徳人)からお米と衣類を頂戴するのが習慣になっていました。ところが今年は、年末になっても有徳人から何の便りもありません。そうこうしているうちに大晦日になってしまい、男は有徳人のもとを訪ね、お米をもらえないかと頼みます。今年は行き違いで男に便りが届かず、蔵はすでに閉めてしまったとのでしたが、何とか頼み込み、外に出ていた米を分けてもらいます。そこで引き下がらずにさらに交渉して、奥方の古着である小袖も手に入れました。

有徳人に手伝ってもらって米俵を背負い、さらにその上に小袖を被せるようにして帰ろうとする男、自分の姿が不審に思われはしないかと心配になります。そこで、有徳人に相談したところ、「これは俵藤太(たわらのとうた)の娘、米市御寮人のお里帰りである」と応えればよい、と智恵を授かります。

いただいたものを嬉しそうに背負って帰る男。その道中で出会った数人の若者たちに声をかけられ、男は有徳人に教えられた通り「米市御寮人のお里帰りである」と答えます。その返事を聞いた若者たち、美人と噂に名高い米市御寮人ならば、杯を受けたいと言いだして…。


【カンゲキレポ】

師走の暮れのせわしなさ、少しのほろ苦さ、来る年へ仄かな期待感を感じさせる曲です。「俵」や「米市」など、豊かさの象徴である「米」がキーワードになっています。

則重の男は、きっちりとした出来。東次郎演じる有徳人に頼りきりだったのが、若者たちとの一件をきっかけに新しい一歩を踏み出すまでの流れが自然でした。

有徳人のところで米俵をもらったり小袖をもらう時は、「どうしたら良いでしょう、こうするのは如何でしょう」と事あるごとに有徳人を頼ります。米俵も1人では背負う事が出来ず、有徳人に手伝ってもらって背負います。

けれど、帰りの道中で若者たちに絡まれ、米俵と古着だと見破られ、笑われて去った後、男は「それじゃによってな、これはわしにとっては大切な年取り物じゃ」と言い、それまで有徳人に手伝ってもらわないと背負えなかった米俵を、たった1人でぐっと抱え上げて去っていきます。

東次郎師はこの時の男の気持ちを「スポンサー(有徳人)からの決別を意味している。そして去っていく男の背中に、新しい年が見えてくる」と解説されていて、ハッとしました。

私は、有徳人からの「自立」を決意したのかなぁ~とぼんやり思っていたのですが、「決別」という、もっと厳しい決意が込められていたのですね…。

この曲も、登場人物のコーディネートが洒落ていて、眼福でした~。

則重は、海に碇を描いたダイナミックで鮮やかな肩衣。有徳人からもらう小袖は、山吹色の地に草花が色とりどりに縫い込まれている意匠で、とてもとても素敵でした~!

通行人(若者)を演じた5名は、色とりどりの裃。東次郎師によると、「狂言では上下の段熨斗目を着るのが普通だが、若者たちできらびやかさ、洒落た感じを出すために、若者たちは段が斜めになっている熨斗目を着用させた」とのこと。装束だけで、こういう狙いやコンセプトがあるのですね!あらためて勉強になりました…。


小舞 『雪逍遥(ゆきしょうよう)

山本東次郎師による新作小舞。昨年10月に国立能楽堂で「雪」をテーマにした会があり、「雪をテーマにした小舞を…」とお願いがあったそうなのですが、狂言では、雪をあつかった小舞が1曲しかなく、しかも全体で1分半しかないそうで、せっかくなので、とご自身で創作されたのだそうです。


【詞章のあらすじ】

雪が降り積もった早朝、弓矢を持って猟師が山へと狩りに出かけます。獲物の雉を見つけ弓をつがえて狙いますが、あと一歩のところで雪に足を取られてしまい、雉は空の彼方へと逃げてしまいます。

雉を呆然を見送る猟師ですが、「獲物は捕えられなかったけれども、仏教で最も戒められる殺生はしなかったのだから」と考えを改め、弓矢を置いて、ひとり雪見へと歩き出します。

猿が飛び移ったために枝の雪が落ち、わずかに緑が見えた松の枝、冬特有の凛冽な青空、その西の方角にうっすらと見える昼間の月。聖徳太子にゆかりがあると言われる斑鳩(いかる)の鳥の声に、太子が説いたと言われる和の尊さを思い、百舌鳥の速贄(はやにえ)や雪の狭間を流れていく水に春の到来が遠くないことに感じて心が浮き立ち…猟師は銀世界の中を遊びます。

やがて、日が暮れ始めた山を下りて、家路を急ぐ猟師。こうして、冬の一日が終わっていくのでした。


【カンゲキレポ】

感動のあまり、言葉がありません。この小舞を拝見できて、本当に良かった。心の底からそう思いました。

最初は弓と矢を持って舞い始め、しばらくして弓矢を置き、扇を使って舞った後、弓矢を再び取って退場していく姿。わずか15分の中に、猟師の1日、移り変わる心のありよう、そしてその生き様を見たような気がします。

東次郎師の作詞された詞章はわかりやすく、ひとつひとつの言葉が美しく洗練されていて、それでいて透明感があります。雪の日の情景が頭の中ですぐに思い浮かべることができます。

詞章には、「心外無法 満目青山(しんがいむほう まんもくせいざん)」という禅語が登場します。

これは、「心の外に法は無い。これが楽しいとか苦しいとか、そういうルールを作っているのはすべて自分の心なのだ。目の前に見える山が鮮やかに美しく感じられるのは、見る人の心が澄み渡っているからで、どんなに美しい景色があっても心が曇っていたら、それを感じることはできない」という意味だそうです。

東次郎師の舞を一心に見つめる中で、いつしか自分も、想像の中の雪山を歩き、冬の景色を眺め、冬の青空を見上げているような感覚にとらわれていきました。

何と言うのでしょう、東次郎師の舞を通じて、自らも冬の雪山を歩き、雉を狙って弓をつがえ、飛び去る雉を見送り、雪の山道を遊びながら目に入ってくる景色をひとつひとつじっくりと楽しみ、夕陽を背中に山を下りていくような感覚になったのです。まるで、猟師の1日を追体験しているようでした。

こういう経験、これまでの人生で1度はありませんか?あ、追体験うんぬんではなくて…(^_^;)。

仕事やプライベートに限らず、ずっとがむしゃらに走ってきて、ある日、何かがきっかけでふっと集中の糸が切れてしまったり、何から手をつけて良いのか分からないくらいに落ち込むようなこと。そんな時、「今日はもう、気分転換しよう」と全てをストップさせて、自然散策に出かけたり、自分の好きなことに没頭にしてみたりすること。それが驚くほど効果的なリフレッシュとなって、意外なほど元気を取り戻せた、というようなこと。

いやいや、浅はかな私の体験談では計り知れない深さがあるのだと思うのですが…。少なくとも私は、その時の出来事やその時の自分の気持ちを思い出して、きゅーっと胸が締め付けられました。

うーん、伝えたいことをどう伝えたら良いのか分からなくて、気づいたらまた何が言いたいのかわからない文書になってしまいました(苦笑)。(←カンゲキ通信にはありがちなパターン)

東次郎師が手にされていた扇も、素晴らしいものでした。銀地に雪山と藪椿(ヤブツバキ)が描かれている意匠。…素敵過ぎて震える…!

この小舞を拝見できたことは、私の一生の財産になる。本気でそう感じました。


* * *

2年ぶりのハゲマス会でしたが、清々しい感動に包まれて家路につくことができました。


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にっぽん文楽in六本木ヒルズ [伝統芸能]

ちょっと面白そうな企画を見つけました。食べながら、飲みながら、間近で日本の伝統芸能「文楽」を楽しもうというプロジェクトです。

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にっぽん文楽in六本木ヒルズ


【公演日・開演時間】

2015年3月19日(木)~22日(日)
昼の部:12:00開演(13:30終演予定) ※11:00開場
夜の部:18:30開演(20:00終演予定) ※17:30開場


【会場】


六本木ヒルズアリーナ 特設檜舞台
(300席限定)

・東京メトロ日比谷線「六本木駅」1C出口 コンコース直結
・東京メトロ南北線「麻布十番駅」4出口 徒歩8分
・東京メトロ千代田線「乃木坂」5出口 徒歩10分
・都営地下鉄大江戸線「六本木駅」3出口 徒歩4分
・都営地下鉄大江戸線「麻布十番駅」7出口 徒歩5分


【演目、配役】


ショートトーク「私の文楽」

葛西聖司(20日昼夜・21日昼夜・22日夜)
林望(19日昼夜)
山本益博(22日昼)

「二人三番叟(ににんさんばそう)

豊竹英大夫、鶴澤清介
豊竹希大夫、鶴澤清馗
豊竹亘大夫、鶴澤清丈
鶴澤清公

[人形役割]
三番叟/吉田玉女
三番叟/吉田簑二郎

「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」渡し場の段

竹本三輪大夫、竹澤團七
竹本文字栄大夫、竹澤團吾
豊竹希大夫、鶴澤清丈
豊竹亘大夫、鶴澤清公

[人形役割]
清姫/豊松清十郎
船頭/吉田玉佳

(人形部)
吉田清五郎、吉田簑一郎、吉田文哉、桐竹紋秀、吉田玉翔、吉田玉路、吉田玉延

(お囃子)
望月太明藏社中


【チケット料金】

2000円(全自由席)

*昼夜同演目
*雨天荒天時には公演中止の場合あり
*野外での観覧になるので、充分すぎるほどの防寒を
*飲食物は持込自由

詳細、チケット申込はコチラへ
http://www.nipponbunraku.com/event/index.html


* * *


日本が誇る伝統芸能「文楽」。その魅力を間近で体感してもらうべく、本拠地大阪から飛び出して全国各地で展開予定のプロジェクト。東京オリンピックが開催される2020年まで、定期的に開催を計画しているそうで、今回はその第一回目の公演です。

特設舞台は、吉野山地から切り出されたヒノキの木材で新たに造られた移動自由の組み立て式。この「にっぽん文楽」プロジェクトのために新たに造られたのだそうです。

4月に「吉田玉男」を襲名なさる吉田玉女さん。「玉女」としては、これが最後の舞台となります。

チケット申込の際に、大阪の料理茶屋「大和屋三玄」の特製弁当も合わせて予約できたり、神楽坂「紀の善」の甘味や特選純米酒なども楽しめるようですよ。もちろん、六本木ヒルズ周辺や自分のお気に入りのお店で飲食物を調達して、会場に持ち込むのもOK。

開演前のショートトークは、伝統芸能解説者としては有名な方ばかり。演目もスタンダードでわかりやすい(と思う)ですし、上演時間もそれほど長くありません(春先の野外での観覧ですしね・・・[あせあせ(飛び散る汗)])。気軽に楽しみながら文楽の魅力に触れることのできる絶好の機会です。

文楽、観たいなぁ、行きたいなぁと思い続けて、最後の観劇からすでに9年も経ってしまいました・・・orz

これを機に、東京だけでなく全国でも文楽に興味を持たれる方が増えますように!


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