大蔵流狂言 第五十六回 青青会 [伝統芸能]
2015年9月6日(日) 杉並能楽堂 13:30開演
狂言『伯母ヶ酒』(若松隆)
狂言『月見座頭』(山本則秀)
小舞「鵜飼」(山本則重)
狂言『伯母ヶ酒』(若松隆)
狂言『月見座頭』(山本則秀)
小舞「鵜飼」(山本則重)
小舞「放下僧」(山本則孝)
小舞「桂の短冊」(山本東次郎)
狂言『禰宜山伏』(山本泰太郎)
7か月ぶりに、杉並能楽堂に足を運びました。道中の風景も少し変わっていましたが、杉並能楽堂の静かなたたずまい、能舞台から醸し出される厳かかつ柔らかな空気感が変わっていなくて、嬉しかったり安心したり。
狂言『伯母ヶ酒(おばがさけ)』
シテ(甥)/若松隆
アド(伯母)/山本則俊
【あらすじ】
シテ(甥)/若松隆
アド(伯母)/山本則俊
【あらすじ】
酒の商いをする伯母を持つ甥、酒を飲ませてもらいたいのですが、商売物である酒を伯母は絶対に振る舞ってくれません。今日は何としても酒を飲んでやろう目論む甥は、酒を売ってやるからまずは味見をさせてくれと持ちかけますが、伯母は断固として応じません。そこで甥は、自分の住んでいる場所の近くで恐ろしい鬼が出たが、追われてこの辺りに逃げてきたようだから、戸締まりをして気をつけるように言い残して帰ります。
夕方になり、店を閉めた伯母のもとに、鬼が現れます。ところがそれは、鬼の面をつけた甥だったのでした…。
【カンゲキレポ】
東次郎師のおはなしによりますと、中世では女性が酒屋を営んでいるのは決して珍しいことではなかったそうです。そんな当時の社会様相も反映させた曲。女手ひとつで酒屋を切り盛りする伯母にとって、酒は大切な商売物。そんなことはおかまいなしに、何とかして酒を飲ませてもらおうと画策する甥のやり取りが可笑しい一番です。
演者の装束をチェックするのも、山本家の舞台を拝見する時の楽しみにひとつ。最近は近視が進んだのか、特に扇の意匠がしっかり見えなくて…次回はオペラグラスを持って行こう(本気)。
若松は、渋いグレー(茶色だったかも?)に松葉の肩衣、則俊師は目にも鮮やかな山吹色の地に美しい鳥が縫い取りされている、とても豪華なのに奥ゆかしさを感じさせる唐織。東次郎師らしい配色だなぁと思います。こういうコーディネートを拝見すると、「うんうん、山本家、山本家」と何故か安心する自分がいます(笑)。
あれこれ言いつくろって酒をせびろうとする甥に、断固として酒を飲ませない伯母。最終手段(?)として甥は鬼の面を付けて伯母を脅し、酒蔵を開けさせます。
後はご想像通り…、酒をたらふく飲んだ甥は酔っぱらって熟睡、恐る恐る様子を見に来た伯母に正体がバレて、フラフラしながら逃げ帰っていく…という結末。
若松は、お酒を飲んで酩酊していく様子を、力いっぱい演じていました。最初のいっぱいは本当に美味しそうに飲んで、お酒の香りが見所(けんしょ:能楽堂の客席)いっぱいに広がるような、そして飲み進むうちに、男の熟柿くさい息が見所に充満していくような感覚になりましたもの。「酒を飲む」というしぐさひとつとっても、回数や時間を重ねるごとに微妙な変化を演じ分けていく必要があるのですね。
あと、興味深く拝見したのは、使用した面を決して能舞台の上に素で置かないこと。鬼の面を付けたまま酒を飲み始めた男は、邪魔だからと面を顔の横にずらし、やがては外して、立て掛けた膝に面の紐を引っ掛けるようにして置き、そのまま熟睡。後からきた伯母は怒り狂って男の膝に引っ掛けてある面を取り上げて怒鳴りつけていました。
中世から受け継がれてきた面は大変に貴重なものですから、やはり曲中の取り扱いにも決まり事があるのだなぁと思いながら拝見していました。ちなみに、今回使用された面は「風流(ふりゅう)の面」と呼ばれているものだそうです。
則俊師は、「居る」だけで場が引き締まります。身体のさばき方が誰よりも機敏で、動きひとつひとつにため息が出ます。
圧巻だったのは、面を付けた甥を本物の鬼だと思い込んで恐れおののく場面。ものすごいスピードで鬼の姿をした甥に橋がかりから揚幕付近まで追い詰められるのですが、鬼に対面したまま、スススーーーッっと後ろを向かずに素晴らしいスピードで後退されるのです!その俊敏さと美しさ!息をのみます。
ご存知の方も多いと思いますが、杉並能楽堂の橋がかりは、都内の能楽堂の中でも、橋掛かりの傾斜がとても高いことで知られています。揚幕のほうから舞台にかけて、目視でもわかるくらいに結構な上り坂になっています。
その橋掛かりを、舞台から揚幕方面に下がるということは、ゆるやかな下り坂を後ろを振り返らずに後退するようなものなのです。あまりに勢いをつけるとバランスを崩した時に後ろへ転んでしまいそうになります。そんな危険を微塵にも感じさせないのは、やはり則俊師が幼少の頃からこの舞台で鍛錬を積まれてきたからですよね。その機敏で美しい身のこなしに惚れ惚れいたしました。
演者の装束をチェックするのも、山本家の舞台を拝見する時の楽しみにひとつ。最近は近視が進んだのか、特に扇の意匠がしっかり見えなくて…次回はオペラグラスを持って行こう(本気)。
若松は、渋いグレー(茶色だったかも?)に松葉の肩衣、則俊師は目にも鮮やかな山吹色の地に美しい鳥が縫い取りされている、とても豪華なのに奥ゆかしさを感じさせる唐織。東次郎師らしい配色だなぁと思います。こういうコーディネートを拝見すると、「うんうん、山本家、山本家」と何故か安心する自分がいます(笑)。
あれこれ言いつくろって酒をせびろうとする甥に、断固として酒を飲ませない伯母。最終手段(?)として甥は鬼の面を付けて伯母を脅し、酒蔵を開けさせます。
後はご想像通り…、酒をたらふく飲んだ甥は酔っぱらって熟睡、恐る恐る様子を見に来た伯母に正体がバレて、フラフラしながら逃げ帰っていく…という結末。
若松は、お酒を飲んで酩酊していく様子を、力いっぱい演じていました。最初のいっぱいは本当に美味しそうに飲んで、お酒の香りが見所(けんしょ:能楽堂の客席)いっぱいに広がるような、そして飲み進むうちに、男の熟柿くさい息が見所に充満していくような感覚になりましたもの。「酒を飲む」というしぐさひとつとっても、回数や時間を重ねるごとに微妙な変化を演じ分けていく必要があるのですね。
あと、興味深く拝見したのは、使用した面を決して能舞台の上に素で置かないこと。鬼の面を付けたまま酒を飲み始めた男は、邪魔だからと面を顔の横にずらし、やがては外して、立て掛けた膝に面の紐を引っ掛けるようにして置き、そのまま熟睡。後からきた伯母は怒り狂って男の膝に引っ掛けてある面を取り上げて怒鳴りつけていました。
中世から受け継がれてきた面は大変に貴重なものですから、やはり曲中の取り扱いにも決まり事があるのだなぁと思いながら拝見していました。ちなみに、今回使用された面は「風流(ふりゅう)の面」と呼ばれているものだそうです。
則俊師は、「居る」だけで場が引き締まります。身体のさばき方が誰よりも機敏で、動きひとつひとつにため息が出ます。
圧巻だったのは、面を付けた甥を本物の鬼だと思い込んで恐れおののく場面。ものすごいスピードで鬼の姿をした甥に橋がかりから揚幕付近まで追い詰められるのですが、鬼に対面したまま、スススーーーッっと後ろを向かずに素晴らしいスピードで後退されるのです!その俊敏さと美しさ!息をのみます。
ご存知の方も多いと思いますが、杉並能楽堂の橋がかりは、都内の能楽堂の中でも、橋掛かりの傾斜がとても高いことで知られています。揚幕のほうから舞台にかけて、目視でもわかるくらいに結構な上り坂になっています。
その橋掛かりを、舞台から揚幕方面に下がるということは、ゆるやかな下り坂を後ろを振り返らずに後退するようなものなのです。あまりに勢いをつけるとバランスを崩した時に後ろへ転んでしまいそうになります。そんな危険を微塵にも感じさせないのは、やはり則俊師が幼少の頃からこの舞台で鍛錬を積まれてきたからですよね。その機敏で美しい身のこなしに惚れ惚れいたしました。
狂言『月見座頭(つきみざとう)』
シテ(座頭)/山本則秀
アド(上京の者)/山本則重
【あらすじ】
八月の十五夜の日。風流な人々は野辺や沢辺で月を眺めて歌を詠み、詩を作って楽しむ宵。目の見えない座頭も、虫の音を楽しもうと杖を頼りに野辺に出かけ、虫の音を聴いています。
そこへ、月見にやってきた1人の男が、座頭に声をかけます。意気投合して歌を詠み交わし、酒を酌み交わして別れた2人でしたが、ふと心に悪い考えが芽生えた男は、先ほどの座頭のもとへ戻ります。そして…。
【カンゲキレポ】
狂言が誕生したのは、約650年前の室町時代。その時代に、今日に至るまでかけられ続けている狂言200曲は創作されたとされています。650年前に、すでに人間の闇を突いていた狂言が存在していたことは、改めて凄いな、と思いました。それを創作した人の洞察力、分析力、表現力も。
今、まさにこんなことがきっかけになった事件が、増えている気がします…。仲良しだったはずなのに、「ちょっとハブってやろう」「ちょっとちょっかい出してやろう」という面白半分の出来心がエスカレートして、取り返しのつかない事になってしまう…。人間の「闇」の部分がむき出しになったような事件が、どんどん増えている気がします…。
狂言は「人を追い詰めない」(東次郎師)結末が用意されており、その先を想像するのは観客の仕事だとされています。それすら出来ない時代なのでしょうか。
則秀の月見座頭は、良い意味で「し過ぎない」という印象でした。
渋めの若草色の角帽子(すみぼうし)、渋みのある薄紫の衣の上からグレーの水衣をまとい、下は濃い青に色味の違う青で笹(?)の文様があしらわれた袴という、落ち着きのある中にも演者の若さを感じさせる、絶妙の配色。
目が見えないというハンディキャップやそのために受ける理不尽な物事に声を荒げて反撃することもせず、その身の上も、男とのやり取りも、全て淡々と受け入れて、自分の中で受け止めて生きてきたのだろう、そしてこれからも、そうして生きていくのだろう…そう思わせる舞台でした。
終演後、則秀が橋掛かりを歩いて揚幕の内に入ってからも、ほんの一瞬の間、見所からは拍手が起こらず、その場にいた全員が揚幕の向こう側を見つめ続けていました。それだけ、則秀の舞台に心を掴まれた証でしょう。
感情をむき出しにすることを抑えて、淡々と、整斉と舞台を勤める則秀。その抑えた舞台が、かえってこの曲の持つ深さが際立ち、人の心に静かに衝撃を与えたのではないかと思います。
素晴らしい舞台でした。
私としては、前半の親しみやすさから一転、座頭に理不尽な暴力を振るう男にも今回は興味をもって舞台を拝見していました。「男は、どの瞬間に、『あの座頭をなぶりものにしてやろう』と思うんだろう」と。
男を演じたのは、則秀の兄でもある則重。結果的に、揚幕の内に入る寸前に「いや待てよ」となるのですが、確信的な瞬間というのは見えませんでした。本当に、揚幕に入る寸前に、急に「今度はなぶりものにしてみよう」と言って、元来た道を戻るのです。
でも、逆に、それがまた本当の人間らしいのです。その人にしかわからないきっかけで、その人にしかないタイミングで、これまでとは正反対の気持ちがふと芽生える…。それこそが人間の心の「闇」なのではないでしょうか。こういうところで思わせぶりな「間」を作らないところが、狂言らしく、山本家らしいなぁと思います。
則重は、深い緑の地に四季の草花があしらわれた肩衣。山本の舞台ではよく拝見する意匠で、私も大好きな衣装のひとつです♪
狂言『禰宜山伏(ねぎやまぶし)』
シテ(山伏)/山本泰太郎
アド(禰宜)/山本凛太郎
アド(茶屋)/山本則孝
アド(大黒天)/山本修三郎
【あらすじ】
シテ(山伏)/山本泰太郎
アド(禰宜)/山本凛太郎
アド(茶屋)/山本則孝
アド(大黒天)/山本修三郎
【あらすじ】
後援者のもとに挨拶周りをしている伊勢の禰宜が茶屋で休憩していると、葛城で修行を終えて故郷の出羽国・羽黒山へ帰る途中の山伏が居合わせます。
この山伏が横柄で、茶屋の出した茶が熱いだのぬるいだのと文句ばかり。禰宜が一言口を挟んだところ、山伏は因縁をつけ始める始末。茶屋の取りなしにより、山伏と禰宜は大黒天に祈誓をかけて、陰向(ようごう:神仏が祈りに応える)があった方を勝ちとする勝負が始まります。
【カンゲキレポ】
東次郎師によりますと、中世~昭和初期にかけて、伊勢神宮など大きな寺社には先導師(せんどうし)と言って、近隣や地方の檀那(後援者)にあいさつ回りをしてまた寺社に参詣に来てくれるよう勧誘する職業の人がいたそうです。狂言は、教科書には載らない、かつての日本の社会世相を映す劇でもありますね。
いや~、泰太郎の山伏、大好きです!!(笑顔)
なんていうのでしょう、威張り散らしていても、良い意味での「小者感」が出ていて、それでいて憎めないのですよね~。そのあたりのさじ加減が絶妙!
装束からして、なんか偉そうでした(笑)。今日の曲の登場人物の中で、いちばん良い扮装じゃない?と思わせられるくらいに。山伏なので、その扮装はしているのですが、篠懸(すずかけ:ボンボンのついた上衣)の下に着ている着物が、袖しか見えませんでいたけれども、龍?や鳳凰?などの、えらく豪奢な刺繍のされているように見えましたし、袴も、吉祥紋が刺繍された、山伏でもランクの高そうな感じでした。
居丈高に威張り散らしている山伏が、大黒天の影向をかけた勝負にあっさり負けるものの、それを認めたくなくて無理やり自分のほうへ靡かせようとしたり、あれやこれやとインチキをするのも、可笑しいです。
禰宜を勤めた凛太郎も、良かった~!真面目で爽やかな舞台でした。紺の地に、白い細かい紋様が全体に散りばめられたような紋様(まるで、リバティプリントのような感じでした)の衣が、凛太郎の若さと爽やかさと生真面目さを際立たせていて、素敵!
祈誓の勝負で、伊勢の禰宜らしく「そもそも日本国のはじまりは~」(注:意訳)と、古事記の一節(「天地初発之時(あめつちのはじめのとき)」)を思わせる科白をものすごいスピードで言い切るのですが、これがお見事でした!「立て板に水」とはまさにこのこと、と思わせる流暢な話しぶりで、言い終わったとき、拍手したくなりましたよ!!
茶屋の主を勤めた則孝も、相変わらず手堅い出来。この方のある種どこか醒めた空気を思わせる冷静なたたずまいは、仲裁役にぴったりだと思います。
この舞台では、立派な大黒天様にもお目にかかれます。大黒天がお召しの装束が、私も大好きな意匠のひとつ(『金若(かなわか)』)のものだったのて、密かに嬉しかった~♪(→コチラの記事に、ちょっとだけ紹介しています)
(注) 配布されたプログラムには、「ネ」に「爾」と表記されていますが、その字を使うと、なぜかそれ以降の文章が画面に全く反映されなくなるという謎の事象が発生したため、「禰」と表記しました。
この山伏が横柄で、茶屋の出した茶が熱いだのぬるいだのと文句ばかり。禰宜が一言口を挟んだところ、山伏は因縁をつけ始める始末。茶屋の取りなしにより、山伏と禰宜は大黒天に祈誓をかけて、陰向(ようごう:神仏が祈りに応える)があった方を勝ちとする勝負が始まります。
【カンゲキレポ】
東次郎師によりますと、中世~昭和初期にかけて、伊勢神宮など大きな寺社には先導師(せんどうし)と言って、近隣や地方の檀那(後援者)にあいさつ回りをしてまた寺社に参詣に来てくれるよう勧誘する職業の人がいたそうです。狂言は、教科書には載らない、かつての日本の社会世相を映す劇でもありますね。
いや~、泰太郎の山伏、大好きです!!(笑顔)
なんていうのでしょう、威張り散らしていても、良い意味での「小者感」が出ていて、それでいて憎めないのですよね~。そのあたりのさじ加減が絶妙!
装束からして、なんか偉そうでした(笑)。今日の曲の登場人物の中で、いちばん良い扮装じゃない?と思わせられるくらいに。山伏なので、その扮装はしているのですが、篠懸(すずかけ:ボンボンのついた上衣)の下に着ている着物が、袖しか見えませんでいたけれども、龍?や鳳凰?などの、えらく豪奢な刺繍のされているように見えましたし、袴も、吉祥紋が刺繍された、山伏でもランクの高そうな感じでした。
居丈高に威張り散らしている山伏が、大黒天の影向をかけた勝負にあっさり負けるものの、それを認めたくなくて無理やり自分のほうへ靡かせようとしたり、あれやこれやとインチキをするのも、可笑しいです。
禰宜を勤めた凛太郎も、良かった~!真面目で爽やかな舞台でした。紺の地に、白い細かい紋様が全体に散りばめられたような紋様(まるで、リバティプリントのような感じでした)の衣が、凛太郎の若さと爽やかさと生真面目さを際立たせていて、素敵!
祈誓の勝負で、伊勢の禰宜らしく「そもそも日本国のはじまりは~」(注:意訳)と、古事記の一節(「天地初発之時(あめつちのはじめのとき)」)を思わせる科白をものすごいスピードで言い切るのですが、これがお見事でした!「立て板に水」とはまさにこのこと、と思わせる流暢な話しぶりで、言い終わったとき、拍手したくなりましたよ!!
茶屋の主を勤めた則孝も、相変わらず手堅い出来。この方のある種どこか醒めた空気を思わせる冷静なたたずまいは、仲裁役にぴったりだと思います。
この舞台では、立派な大黒天様にもお目にかかれます。大黒天がお召しの装束が、私も大好きな意匠のひとつ(『金若(かなわか)』)のものだったのて、密かに嬉しかった~♪(→コチラの記事に、ちょっとだけ紹介しています)
(注) 配布されたプログラムには、「ネ」に「爾」と表記されていますが、その字を使うと、なぜかそれ以降の文章が画面に全く反映されなくなるという謎の事象が発生したため、「禰」と表記しました。
小舞「鵜飼(うかい)」(山本則重)
小舞「放下僧(ほうかぞう)」(山本則孝)
小舞「桂の短冊」(山本東次郎)
「鵜飼」は練習曲として舞われることも多く、私も何度か拝見した事があります。
小舞「放下僧(ほうかぞう)」(山本則孝)
小舞「桂の短冊」(山本東次郎)
「鵜飼」は練習曲として舞われることも多く、私も何度か拝見した事があります。
則重は、「荒鵜(あらう)ども、此の川波にぱっと放せば」で宙に振り上げる腕の動きの俊敏さと、それを目で追うまなざしの美しさが印象的でした。鵜が放たれた情景が、まざまざと脳裏に思い起こすことができました。
脇正面からですと、特に小舞は舞う方を真横から見る形になるのが多いのですが、相変わらず彼の横顔の美しさには惚れ惚れします。なんて形の良いお鼻なんだ…(←狂言関係ない)。
*
「放下僧」は、室町時代中期以降に現れた、田楽法師の流れを受け継ぐ僧形の芸能者を意味するそうです。能の曲のひとつで、放下僧に身をやつして親の敵討ちを目指す兄弟が、敵の前で芸を披露しながら、機会を狙う…というあらすじだそうで、今回は、都の風物を謡い舞う場面。「衹園、清水」「音羽の滝」「地主(じしゅ)の桜」「嵯峨」と、まさに今でも通用する京の都の風物尽くしです。
則孝の舞は、指先が特に綺麗です。「筆に書くとも及ばじ」と謡うところで、扇を筆に見立てて文字を書くしぐさをするのですが、その時も扇も持つ手の指先がぴんと伸びきっていて、美しさの中に堅固な意思も感じさせます。
*
「桂の短冊」は、2003年に東次郎師が創作された新作狂言。私は2008年の「山本会」で拝見したのですが、風雅で情感あふれる素晴らしい曲。東次郎師の美学がここに集約されている!とすら思いました(←お、おこがましいにも程がある…)。
今日のおはなしで伺って初めて知ったのですが、この曲は松尾芭蕉のエピソードを素材にとったのだそうです。なるほど~!今でも中秋の名月の頃になると、この曲で詠まれた歌を口ずさんでしまいます。
本日はその曲の中からいわゆるエピローグ、月夜の野辺でシテが謡い舞う場面を抜粋。「待ちし今宵も西の空」(だったと思いますが…勘違いしていたら申し訳ありません)で、ぐーっと顔を見上げる(月を仰ぎ見る)振りがあるのですが、この場面の東次郎師の瞳が光に照らされて、キラキラと輝いていて…その美しさに、思わず涙が出そうになりました。
杉並能楽堂は、本当に不思議な場所です。能楽堂全体を覆う屋根があるので、完全に室内にあるのですが、お天気の加減で、醸し出す空気が毎回違うのです。
今回訪れた日は、夕方から雨がひどくなる…という天気予報。ちょうど、小舞が始まり、東次郎師の番になるころに、雨雲が近づいてきたのか、急に空が暗くなったのです。光の射さなくなった杉並能楽堂も仄暗くなり、使い込まれた檜板も柱も、急にその色と艶が濃さを増しました。
その中で舞われた東次郎師の姿は、仄暗い闇の中から、光をまとって浮かび上がってくるようで…美しさを超越して、もう、神々しくて…本当に泣きそうになりました。
これは…
「好き過ぎて泣くパターン」発動…!!
(´;ω;`)ブワッ
(´;ω;`)ブワッ
この小舞で東次郎師が使用された扇も見事でした。
金地に、二羽の雁(だと思います…)が空を飛び遊ぶ情景を描いたもので、秋の宵闇が迫った頃の空を思い起こさせます。
そのほかの曲でも素敵な扇がたくさん拝見できて、幸せでした☆
終了後は、恒例となった東次郎師によるおはなし。今回も曲にまつわる豆知識やエピソードを、たくさん語ってくださいました。
今回も充実した良い舞台でした。大満足☆
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